バリで数十年間の間、社会問題となっている海のゴミ問題と向き合ってきて、9年目になります。
その間の活動はすべて、応援してくださる全国のスポンサーの皆さんの支えで続けて来れました。
数日や数ヶ月ではなく、こんなにも長く応援をいただけること、それは本当に稀有なことだと思います。
でも何もせず、黙っていて皆さんが応援してくれるわけではありません。
一つに人生を懸け、すべての重荷を背負って歩く道です。
その荷物を背負う責任は、誰にも背負えません。
だから孤独と重圧が伴う道でもあります。
特にコロナ以降は、社会の価値観が変わってしまい、ほんとに苦しい時期が続いた。
その重荷に耐えきれず、ここ数年、僕の頭の中には常に『死』が浮かんでいた。
どこにいても、何をしても、人生が刹那的で空虚で、何の救いも見つけることができなかった。
底のない深く暗い穴を埋めようとするけど、それは小石を投げ入れるようなもので、何をしても埋めることができなかった。
それが限界に達したのは、今年の初め。
ここで何か人生から救いの手を延べられることがなければ、いよいよ僕は最後の”希望”さえ失ってしまうだと思った。
それくらい僕にとっては、手を尽くしていたつもりだった。
そこでやって来たものは、人のご縁によって運ばれて来た『日本語学校の先生』というものでした。
日本での講演会でも自信を失っていた僕は、初め、人前に立つのは向いていないと思っていたけど、
今では学生を育む先生という役割は、日々大きな大きな喜びと、やりがいと生きがいを与えてくれる、僕の人生そのものになっています。
それは学生のみんなが僕に育んでくれたものです。
本当に感謝しています。
そしてよく僕は、『空虚で虚しい、あの底知れぬ、長い苦しみの日々の意味は何だったんだろう?』と、
ふとした度に想い馳せる。
ハッキリとした答えはまだ分からない。
でも一つわかったことは、
打ちつける絶望の雨や、吹きつける苦しみの風の日々が、
僕が学生という『未来』と向き合う上で、相応しく在れるための『人間としての深み』となっているんだろうということです。
そしてあの日々がなければ、先生という未来に進むこともなかったかも知れない。
そう思うとすべての経験が、今の為にあったと受け入れることができます。
今、苦しみの中にいる人は、意味を見出せず、ただただ耐えることしかできないかも知れない。
でもいつか運命から答えを明かされる時が来る。
そしてその時、この苦しみの今も導かれていることを知ります。
その日まで、どうか一緒にがんばって行きましょう。
宇宙の子マサ
p.s.
僕が受け持ったクラスの学生たちが、これまでに70名以上、日本へと旅立って行きました。
日本で働くという夢を持ち一生懸命、学んできた子たちです。
日本の皆さんよろしくお願いします!
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